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施設長コラム

直接見ることができない身体の部分が存在する意義


自分の身体でありながら首から上の全ての器官、背中そして肛門等々は普通の人は直接見ることができません。そのことをどうとらえるか、“見えない部位”、“見る必要のない部位”、“見るべきでない部位”、“見られるために作為を起こしてはならない部位”…どれでしょう?

先ず、“顔=表情、中でも眼の表情”について考えてみましょう。勿論職業上、鏡を見ながら表情を研究している人はあるでしょうし、女性は殆ど毎朝塗装作業をしているでしょう。しかし、本番あるいは対面中の自分の表情は相手の反応を見て判断するしかありません。もしかすると、自分が“作っていると思っているのとは違った表情”になっているかもしれません。常日頃、予期しない相手の反応に戸惑った経験が誰にもあるでしょう。

自分では温和で寛容な顔をしている心算が、見る人によっては、険しく、人を寄せ付けない表情に受け取られることもあり得るでしょう。逆に今見ている相手の表情は、心の状態とどの程度一致しているのかと無意識に判断しています。その場合、自分が使う“心と顔の一致率”と相手の一致率は違うことをわきまえておかなければなりません。でも、言葉よりも本心が表れ易いという点を考えれば、やはり、顔をつき合わせた交渉が必要であり、望ましいともいえるでしょう。

つぎに、“子は親の背中を見て育つ”、“背でものを言う”、“敵に背を見せてはならない”、“背中に眼あり”、等と教訓は教えますが、“背に腹は変えられぬ”と、背は腹よりも価値が低いと思われています。直接にはもちろん、鏡を用いてさえ見ることは殆ど無く、“のっぺらぼうの背”にどんな身体言語が現れるのでしょうか。誰しも確かに、特に父親の背に現れた感情に気付いたことがあるでしょう。逆の立場になって、自分の背には如何なる表情があるのか些か気になりますし、自分の意識の及ばないところでどんな表情が出ていて、どう解釈されているかという恐れも感じます。ともあれ、せめて自分の子供には背に威厳を感じさせるべく、なお一層精進したいと思います。
いずれにしても、内面が透けて見えるとあれば、顔も背も責任を持って掲げていなければなりません。

なお、肛門については、毎日お世話になっており、個人的には重要な部位ですが、対人関係に関わることはありませんので、この度は触れないことにします。


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