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施設長コラム

履物の脱ぎ方


「玄関は家の顔。履物をきちんとそろえておきなさい。」と、99.8%の人が子供の頃に耳
にタコができるほど聞かされたことでしょう。
戸外では履物をはき、屋内は素足で過ごす習慣はいつの時代に始まったのでしょうか。
原始にはどこでも裸足だったはずですから、履物の出現はそれほど昔のことではないでし
ょう。歴史書で見ると、古代エジプトの軍隊は草履をはいていますし、中国の兵馬桶や日
本の聖徳太子は靴をはいています。「発掘から見えてきた履物の歴史」(新潟県一「埋文に
いがた、No43」)によれば、わが国で”わらじ”や”草履”が庶民に普及したのは平安時
代中期とされています。また、”下駄”の始まりは4・5世紀と考えられていますが、初期
には祭祀品として扱われていたようです。そして、一般庶民も日常的に下駄を履くように
なったのは江戸時代の中頃ということです。
さて、今日の本題ですが、”履物の脱ぎ方”を修行の一つに取り入れたのは禅宗でした。
“置かれた履物の場所(玄関や靴脱ぎ)における配置、方向と角度が見る人を快い気持ち
にさせるようになっていること。”そして、何時いかなるときにも、どんなに急いでいても
無意識に常に同じ状態に脱ぐことができるように訓練すること。これが禅の修行の第一歩
と聞いたことがあります。次には、頭もいっしょの洗顔の仕方や、水と時間を節約した入
浴の仕方だったでしょうか。「脚下照顧」という言葉の理解のために、形式的行為を徹底的
に反復して身体に覚えこませることが、”己を振り返ってみる”段階から、”自分を見失わ
ない”といった、さらに深い意味を悟らせる精神修養の入り口だということです。
西洋文明に習って屋内でも履物をはいたままの生活様式が増加し、ともすれば、屋内で
裸足になることを不潔で悪しき習慣のごとく語られる場面に遭遇することがあります。
しかし、極く日常的生活のなかにも修養の題材は在るということをダストボックスへ入
れて忘却してしまうのはあまりにも寂しいように思います。
草履や下駄から靴に変わりましたし、状況によっては屋内でも履物が望ましい場合(例
えばフォレスタ)は充分理解できますが、日本人としてはまだ”履物の脱ぎ方の心”を伝
えてゆくべきであろうと思う次第です。


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