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施設長コラム

認知症の側面

フォレスタへ来るまで、認知症という言葉から受けるイメージは、もっぱらに忌み、
避けるべき状態と思っていました。現在も可能であれば避けたいとは思いますが、
認知症によって得られる良い面もあり、それが重要な意味を持っていることも見えてきました。

当施設の入所者の平均年齢は80才であり、精神・身体のあらゆる面で充分役割を果たされた状態と
見倣されます。そして、各々異なる人生を歩んで来られたと同程度に、違った種類と程度のハンディーを
背負われています。そのために、極く日常的動作にも他人の手を借りなければならなくなっています。
御本人はそのような自分の姿を、どう受け止めておられるでしょうか。
決して世話を受けるのが当然と思ってはおられないでしょう。少なくとも明晰であった頃に、
自分がそうなることを受け入れていたとは思われません。
そのような自分の状態を見て悲嘆にくれることなく、「世話をかけてすまないね」と言いながら、
およそ受容できているのは、“諦め”あるいは“悟り”によるだけではなく、少なからず認知症に
入られているからであろうと考えます。

また、ある程度認知症の進んだ高齢者は明らかに痛みに対して鈍感になられています。
ベッドの上に起き上がらせてあげようとしたり、車椅子に乗せようと抱き上げたとたんに顔をしかめ、
動かすことに抵抗するしぐさを示されます。直前まで、ベッドに横になっていた間は穏やかな表情であったり、
静かに眠られていたりで、理由がわかりません。手足をゆっくり曲げたり、指圧をしてゆくと、あるポイントに
ふれた瞬間に拒絶反応です。急いでX‐腺検査をしてみると、立派な骨折が見られ、ときには折れた骨が
ずれていることもあります。骨膜の断裂の痛みは耐え難いと習い、その姿を幾度も見てきましたが、
この方たちには静置している間は痛みは無いようです。
慌惚境に入ることは、肉体は平常に見えていても、すでに次元の異なる世界に足を踏み入れておられることを
認識させられます。御本人にとってはむしろ幸福なことであり、認知症になることは苦痛も悲しみも伴はずに
この世に別れを告げる“天与の恵み”ではなかろうかと思わずにはいられません。

現時点での私の認知症の定義
生涯の悲嘆と辛苦を忘れ、現在の生活における不安や不満を感じることなく、死に対する恐怖もなくなり、
平穏で幸福な心でこの世に別れを告げられる準備段階としての摂理であり、神様からの贈り物である。

立場の違いによって賛否両論があることは承知の上ですが、“自分にとって認知症とは?”
あるいは“認知症の治療は真に必要なのか?”といった命題について考える機会にしていただければ幸いです。


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